こちらは「春のPerl入学式リレーブログ」の7日目の記事です。
blog.perl-entrance.org
ひとつ前は、 id:kousy さんによる以下の記事でした。
kousy.hatenablog.com
Perl入学式での経験が仕事につながるというのは、すごすぎますね! 敬服します。
東京でのプログラマー生活、ぜひがんばってください。
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今回の記事では、ぼくが初めてPerl入学式に参加したときのことを書きます。
ぼくが初めてPerl入学式に参加したのは、38才の夏でした。
これは同時に、ぼくがプログラミングの講義に参加した最初の機会であり、また初めて「プログラマー」と呼ばれる人々に対面した日でもありました。
その時のことは、以下の記事に書いています。
note103.hatenablog.com
今でもそうですが、ぼくは当時からプログラミングにまったく関係のない仕事をしていて、IT企業に勤める知り合いもいなかったので、このときには一人で参加することになり、会場には知ってる人が誰もいませんでした。
緊張していたせいか、時間よりも少し早めに会場に着くと、サポーター(スタッフにあたる人々) の id:papix さんや id:mackee_w さんたちもちょうど同じぐらいに着いていて、同じエレベーターに乗って上の階まで一緒に上がりました。
papix さんたちにはその時に少しだけ挨拶をしましたが、その後は基本的にサポーターさんはサポーター同士で楽しそうに話をしていて、今だから言えることですが、ぼくはうっすらと疎外感のような気持ちを抱いていました。
なにしろ、ぼくは年齢的に他の皆よりひと回りも(あるいはそれ以上に)離れていましたし、ITに関係ない仕事をしているのでその話題もまったく意味がわからず、周りに知り合いもおらず、Perl入学式自体も初めてで、さらにはその年の第3回の補講という、中途半端な回からの参加でもありました。
言うまでもなく、その疎外感はぼくが勝手に感じていたもので、サポーターの人たちから嫌な態度を示されたとかいうことは一切ありません。
ただ、自分以外の人は皆知り合いで、その人たちが共通の話題について楽しそうに話している、というその状況が、なんというか、チョット厳しかったわけです。
そしてぼんやりと、「ああ、自分が来るところではなかった」という気持ちになりました。
「呼ばれてもいないのに、身の程も知らずに、なぜこんな冒険をしてしまったのだろう?」と。
「あと何時間、この状況に耐えればいいんだ・・」と。
しかしながら、ボッチでも構わないから参加しよう、と思ったのは自分自身です。
とにかく時間が終わるまで頑張ろうと、そこは38才、なけなしの社会性を発揮して、こめかみには脂汗を浮かべながら、また周りの受講生の人たちともポツポツ会話を交わしながら、最後までなんとか時間を過ごしました。
それまでの人生でも、一人でイベントなどに参加することはよくありました。
知っている人が誰もいない場所に、後先考えずとりあえず飛び込んで、そのままコミュニティとの付き合いが始まったり、意図せず仕事につながったりすることもありました。
そういう経験が知らぬ間に体に染みついていたのか、初めは「すぐにでも帰りたい」と思っていたはずが、講義後の懇親会にも参加することになり、受講生やサポーターの人たちと少なからずおしゃべりをしながら、結局会場が閉まるまで残っていました。
その何日か後に、YAPC::Asia 2013が神奈川県の日吉で開催され、その中で行われたPerl入学式出張版にも参加しました。
Perl入学式 @ YAPC - YAPC::Asia Tokyo 2013
YAPC::Asiaで行われるPerl入学式のワークショップについて色々インタビューしてみました! | YAPC::Asia Tokyo 2013
なぜ一度痛い目にあったのに、懲りずにまた参加したのかというと、じつはYAPC::Asiaのチケットの方を先に買っていて、その下見のようなつもりで上記の講義(第3回補講)を受けていたからでした。
そして、このYAPC::Asiaでもまた、基本的にはずっと一人でした。
YAPCでのPerl入学式には、サポーターはもちろんのこと、先の受講生も何人か参加していたので、今度はまったくの一人ではなかったものの、YAPC全体を通してみれば、前夜祭でも、初日の懇親会でも、大半の時間は一人で過ごすことになり、それが数日間にわたり続いたため、このときには疎外感というより、もう少し重々しい、とりとめのない孤独のようなものを感じていました。
ちなみに、YAPCにおけるPerl入学式の内容は、普段とはちょっと違う番外編のようなもので、入門というにはひねりの効いた、少なくともぼくにはなかなかハードルの高いもので、何をやっているのかよくわからないうちに終わってしまった、という感じでした。
そういうこともあって、「やっぱりYAPC、俺には早すぎた・・」という後ろ向きな感想を持ちましたが、なぜかその後もPerl入学式には参加し続けることになり、翌年の4月からはサポーター側に回ることになりました。
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ある種、痛切ともいえるボッチ体験に遭遇しながら、なぜその後もやめずに続けられたのかと考えると、結局のところ、その疎外感とか、孤独感とかいったツラさは最初に味わうものが一番大きくて、その後は痛みに慣れるというか、弱まるというか、軽減される一方だから、ということが言えると思います。
喩えてみると、バンソコウをはがす時に、最初にピャッとはがしてしまえばそれで終わるというか。
あるいはインフルエンザの予防接種を受けるときに、「はい、チクッとしますよ〜」とか言われて、「ひえ〜!」と思っても、その数秒後には全部終わってる、みたいな。
新しい体験がもたらす痛みは、最初の方ほど強く、しかし後は弱まる一方で、やがてそれは心地よい自分の居場所になっていきます。
この記事の前半で、エレベーターに乗ったときの話を書きましたが、今思えば、サポーターさんはサポーターさんで、普段はそれぞれ別の職場で仕事や生活をしていますから、Perl入学式という場で、気の置けない友人たちに久しぶりに会えたなら、普段はできない楽しい会話に時間を使いたくなるのはごく自然なことです。
当時のぼくからすれば、「自分と自分以外」という物の見方しかできていませんでしたが、実際には、サポーターにはサポーターの、特別な場としてのPerl入学式があったわけです。
普段の生活習慣から離れた場に、一人で飛び込むというのは、不安もあると思いますし、実際、人によってはツライ思いをすることもあるかもしれませんが、その次の瞬間から、欲しいものは確実に手に入ってきます。
ぼくの場合、それはプログラミングの技術でした。
だいぶ時間はかかりましたし、今なおかかっていますが、当初では考えられなかったほど、その技術を自分のものにし、それを楽しんでもいます。
プログラミングの勉強を始めるときに、一緒にやってくれる友達は不要です。
自分の体ひとつあればOKです。
Perl入学式では講義資料を広く公開していますし、
講義資料 - Perl入学式 | Perl Entrance
全国各地でも開催していますので、もし都合が合えば、いつでも参加してみてください。
www.perl-entrance.org