初めて歩く道のりは長く感じられる

プログラミングに限らないとは思うが、何かを始めたばかりの時には「何回やってもできない」「いくらやってもわからない」という泣き言をつい簡単に言ってしまう。

最近はPerlの他、Apacheの設定やLinuxの(おもにCentOSの)操作を勉強しているけれど、「プログラミング学習」という外側から見れば一つに見えるその分野の中にも、そういった新たなトピックがいろいろあって、それらに取り組んでみるとやっぱりそのたび「ああ、何で俺はこんなにもアホなのだろう」という、絶望というには軽いが失望というには重い何かをじわじわ感じ続けることになる。

と同時に、そのように

1. ハマって
2. 調べて
3. 試して
4. できた!

というパターンを繰り返していると(実際には1〜3を延々繰り返した末にたまに4になる、ということだが)、次のようなことが実感されてくる。

第一に、「何回やっても駄目」「いくらやっても理解できない」の、「何回」や「いくら」というのはせいぜい2〜3回に過ぎない。少なくとも、数え切れないほどやってる、なんていうことはない。

第二に、だからといってそれは、初心者が必要以上に誇張して表現しているということでもなく、たった数回の些細なミスでも本人にはものすごく大きく感じられ、それがまた自然であるということ。

たとえば、初めて訪ねる場所へ行くときには、我々はその道のりをやけに長く、大変だと感じるものである。
それをとくに実感するのは帰り道で、あれ、こんなに近かったっけ? なんて思ったりする。

未知の道はつねに長く険しく感じられ、既知の道はそれに比べれば平坦で楽に感じられる。
それと同じことがようするに上記の初体験、試行錯誤の際にも生じている。

ではそういうことをわかったからと言って、何にどう生かせるのかというと、とくにそういう教訓はない。
今後も新しいことに取り組むたび、はたから見れば、あるいは未来の自分から見れば「そんなしょうもないことでいちいちうなだれるなよ・・」みたいなことになるだろう。それはきっと避けられない。

ただそういう時に、ふと我に返って、「もしいずれこれに習熟することがあったなら、その時のぼくは今日の悩みや挫折感を穏やかな気持ちで見下しながら笑い飛ばすに違いない」と、客観的になりやすくなることはあるかもしれない。