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リーナス・トーバルズ『それがぼくには楽しかったから』を読んだ

良い邦題だなと思って買って読んだ。

それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)

それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)

リーナスの語りおろしみたいな感じかと思ったけど、最初(序章)は共著者(聞き書き担当? のD・ダイヤモンド)とリーナスとのある日のインタビュー風景というか、対談みたいな様子から始まって、読みやすくはあるけどちょっと退屈かな・・と感じた。

それでしばらく放置していたのだけど、少し前に時間ができたので続きを読み始めたら、第1章からは急にリーナスの一人称による自伝的な書法になって、かつ子供時代の話から始まったので、いよいよ「こりゃ合わん・・」という気になった。
何しろぼくは偉人伝にかぎらず他人の幼少時代の描写というものをことごとくつまらなく感じるたちで、しかも上記のように、インタビュー形式だったのが急に一人称になったりして、構成が破綻しているとしか思えず、こりゃ読み続けるのは大変だな、と感じたのだった。

しかしそれでも何となく、惰性のように読み続けたら、またしてもよくわからないタイミングで急にD・ダイヤモンドの視点による、現代のリーナスの生活を切り取るドキュメント風の描写に切り替わってしまったりして、しかしこうなってようやく、これは単に構成が破綻しているのではなく、初めからこういう変わったアプローチを指向した本なのだと考えることができ、それからはあまり退屈することなく読み進められた。

個人的には、こういう風に話者の視点がコロコロ切り替わる文章は読んでいて頭が疲れるので、あまり歓迎するものではないのだけど(村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』とか。あれも凄く疲れた)、文体や翻訳じたいは軽快で読みやすく、何より内容が興味の対象だったから読めたというのもある。

技術書ではないから、これで一気にLinuxを理解できた、とかではないが、その背景にある空気とか、Linuxが立つその足元、土台に何があるのかとか、そういうある意味で一番大事かもしれない何かについて、知れた気がするのはよかったと思う。

リーナスは自分のおかした失敗をいくつも開示していて、それも好感を持った。この中にはGitの話などは全く出てこないし、それは本が書かれた時代のせいもあるだろうけど(原著は2001年刊行)、しかしそのことが結果的に象徴するように、リーナスがいかにすごいことをしたか、などについては余り詳述されていない。

それよりは、いかに彼が普通か、とか、まあいわゆるオタクとして、世間が男性に求めるモデルから離れているか、とかいうことも含めて、少なくとも天才的・神様的存在の対極にあるような人物として(なかば意識的に)描かれていて、だからこの本を通してすぐに彼の「すごさ」について理解することは出来ないかもしれないが、一方である程度なり彼が成したこと(あるいは今なお成し続けていること)を知っている人なら、ここにある普通さや、事実としてやってきたことに触れることによって、かえってその「すごみ」を感じられるということはあるかもしれない。