なぜアウトプットするのか
2013年からPerl入学式(Perlによる無料のプログラミング講座)でお世話になっている id:xtetsuji さんから、ぼくがアウトプットを続ける理由は何か? という質問というか、お題をもらって、しばらく考えていました。
ここで言うアウトプットとは、直近で言うと去る1月終盤に行われたYAPC::TokyoでのこのLTとか。
あるいは昨年の今頃に発表したこちらとか?
その他にも、このブログをはじめとするネット上での各種意見もそれに含まれると思います。
あとは、いろんなイベントに顔を出してもいますね。去年だけでも、上記以外にbuildersconとか、大江戸Ruby会議07とか、Vimconfとか。
*大江戸Ruby会議については最近公開されたるびまのこの記事がとても良かったです。シェアさせて頂きます。
magazine.rubyist.net
で、そういうイベントでまた、いろんな人に自分から話しかけたり。これもまたアウトプットかなと。
さて、それで最初の質問に戻りますが、なぜそんなことをするのか? という話ですが。
それに対する答えのいくつかは、最初に挙げたYAPCでのLTスライドに書きました。曰く・・
- やったことや考えたことを忘れちゃうから、メモがわりに。
- 見知らぬ人への手紙。どこの誰かもわからない人に知見の共有。
- 自慢したいから。
- 恥ずかしさよりも、それをやりたい気持ちの方が強くなるから。
ということ。
とくに、最後のはある意味一番大きいかなと思っていますが、これってじつは「なぜアウトプットしないのか?」という視点から捉えることもできて、ぼく自身のことを考えると、「ああ、あのとき、なんであれをやらなかったんだろう!?」と思ったときの答えは、結局「失敗したくないから」とか「絶対に恥ずかしい思いをしたくないから!」ということだったと思います。
実際には、何かを「やらない」理由なんて100でも1,000でも挙げることは可能で、いくらでもやらない言い訳なんてできるけど、でもやっぱり最後の最後には「失敗したくない」という理由に行き着くはずだと思っています。だって、絶対に失敗しない唯一の方法は、それをしないことですから。試合に出なければ、100%負けません。間違いない。
だから、「なぜアウトプットするのか?」という質問は、単純にそれをひっくり返せばよくて、「失敗してもいい」と思えた時というか、「失敗したくない」と思う以上に「それをやりたい」とか「実現したい!」と思った時があったからですね。
でも、その「実現したい!」っていうのも、そう書くとなんだかポジティブに聞こえますが、実感的にはもっとしょぼい感じというか、ようは「もったいない」って思っちゃうんですよね。たぶん、ぼくがアウトプットする理由の第一ってこれかも、と今思いました。
人生は有限で、チャンスは一度だけではないかもしれないけど、でも生きてる時間が限られてる以上は何度も巡ってくるわけじゃないから、次のチャンスはもう生きてるうちには来ないかもしれない、じゃあ、今やっとくしかないんじゃない? みたいな。
それで、渋々というか、仕方なくというか、「二度とできないぐらいだったら、いま頑張ります・・気乗りはしないけど・・」みたいな感じですね。
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その意味では、なんというか、捨て身になっていることも多い気はしますね。それまで丹念に育ててきた何かを一気に全部捨てて次の場所に行く、みたいな。そのことにあまり躊躇がないというか。
ぼくは美大に入って、将来何をしたいとかまったく考えないまま大学4年間を過ごして、卒業してもまだ何も決めず、30を過ぎた頃にようやく継続的な仕事をもらえるようになって、でもそのまま43歳になるまで一度も定職につかずに生きてきて、ようはずっと「なんとかなるっしょ」のままやってきた感じがあるんですよね。
その根無し草感というか、べつにカッコつけるつもりはまったくないですが(とくにカッコよくないですか)、実際本当にそんな感じだったので、あるとき突然どっかに飛び込む、チャレンジする、ということに対して抵抗感が少ないところがあるかなと自己分析します。明日から突然それまでの全部がなくなっても、まあ、わかりました、なんとかします、みたいな。
あるいは別の言い方をすると、「痛くない」という感じ。失敗したり、恥ずかしい思いをしたり、指をさされて笑われたりしてもべつに構わない、いやもちろんめっちゃイヤだし、傷つくし、全然積極的にそんな思いをしたいわけではないけど、それでも「まあそんなに、痛くない」という感じ。ある意味鈍感というか、無感覚ということなのかもしれないですが、でもそのある種の耐性みたいのができてきて、それで前半の方で言った「アウトプットしない理由」の方が、「やりたいこと、味わいたいこと」に比べて相対的に小さくなってくれているのかな・・と。
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もうひとつ、これは先日、rubyist.club という数年前にやっていたポッドキャストの以下のエピソードを聞きながらふと思ったことなのですが、
その中でゲストの@bash0C7さんが言っていたことで、「ロックスターに憧れていても、客席から見ているだけでは届かないから、どんな形でもいいから舞台から客席を見る側でありたい」と言っていて、ああ、それちょっと似てるなと。(実際の文脈とはちょっと違うかもしれないんですが)
上記の捨て身の感覚というのは十代後半ぐらいからあった気がするんですが、それとは別に、ぼくが自分の人生が大きく変わった分岐点として今でも思うのは、たしか28歳のときに菊地成孔さんの音楽私塾に申し込んだときで。その申し込んだ瞬間のことは今でも覚えていますが、雪の日で、古い貸家の暖房をつけてもなかなかあったまらない部屋でブルブル震えながらそれこそ捨て身で「絶対駄目だよなあ」と思いながらエイヤと申し込んだら50分後に入学OKの返事が来て。
その数週間後に第1回の授業があって、初めて目の前に現れた菊地さんを見て、あ、今までスクリーンの向こうにいた人が、現実でつながった。あれ、てことは今ぼくはスクリーンのどっちにいるんだ? こっち側? 向こう側? いやどっちでもないのか? みたいな。その日のその瞬間から、何かその「こっち」と「向こう」を分ける透明なガラス板みたいのが音を立てて砕け散った感じで、こんなふうに言うとあまりに綺麗にまとまってしまうんだけど、それがもしかするとぼくがアウトプットする側に入ったときだったのかな、という気も少ししますね。
実際、その菊地さんとの出会いがきっかけで、ぼくは編集者的な作業をするようになって、それが元になって大谷能生さんと共著で本を出すことになって、その経験を踏まえて後藤繁雄さん、坂本龍一さんとの仕事にも連なっていったわけで。
で、ここからがまた大事なトピックなんですが、そういう経験をする中でぼくがつくづく思っていたのは、結局そういう才能あるミュージシャン、クリエイターのような人たちとどう関係を結ぶかといったときに、やっぱりお客さんとして付き合うというのは、ぼくにはどうしても不合理というか、もったいなく感じられて、なぜならお客さんとしてアーティストに触れられるのってほんの一瞬だけで、にもかかわらずその「一瞬」を手に入れるためにかなりのコストを支払うことになるんですよね。あくまで個人の感想ですが。
じゃあどうすればいいのよ、と言ったら、その菊地さんの時のように生徒になるとか、あるいは坂本さんの時のように仕事相手になるとか。
まあ後者の方は運や他人の要素も大きいので、やりたいからってそう簡単には実現できないかもしれないですが、ただいずれにしても、ぼくはそういう巨大な才能をお客さんとして味わうのではなくて、もっとその人たちの近くで、もっとダイレクトに体験したいと思っていて、そのためには、彼らと対等な関係になるしかないと思っていました。言い換えると、たくさんいるお客さんの中の一人ではなくて、交換不能な役割を持ってその場に混ざるということなんですけど。
で、それってさらに言い換えると、結局自分もクリエイターになるしかないということなんですよね。自分も作る人になるしかない。なぜなら、お客さんとしてではなく現場に混ざるということは、その才能ある相手から「君には何ができるの? 何を作れるの?」と聞かれるということだから。現場の一員になる以上は、その輝く才能をただ近くで受け取って楽しむだけではなくて、自分からも何らかの才能を燃やした結果を提供しなきゃいけないから。対等な関係というのはそういうことだから。
つまり、リスクを取るということですね。相手にもっと近づきたい、まだ見たことがない巨大な才能の輝きを、生きているうちにもっと見たい、間近で見たい! と思ったら、自分もその人に何かを提供できる人になるしかない、「君には何ができるの?」と聞かれたときに提示できる何かがなきゃいけない。上手くいけば大きなリターンがあるけど、失敗したらもう立ち上がれなくなるほど傷つくかもしれない、というそれがリスクというもので、でもその輝きを本当に体験したいなら、リスクを取るしかない。
上記のポッドキャストでは「客席から舞台を見るのではなく、舞台から客席を見たい」と言っていましたが、ぼくの場合はそれで言うと、「客席からロックスターを見るのではなく、同じ舞台の上からロックスターを見たい」という感じでしょうか。
そう考えると、その後、38歳にしてそれまでまったく馴染みがなかったエンジニア界隈の人たちとつながりを持って、みんな坂本さんのことは知っていてももちろんぼくのことなんて1ミリも知らない人たちに囲まれて、なんのアドバンテージもなく、むしろどちらかといえばマイナスからのスタートみたいなところから、こんなふうに「どうしてアウトプットするの?」なんて質問されるぐらいコミュニティの人たちと親しくなれたりしてきたのは、そういう考え方だったり、経験だったりを重ねてきたからかな、という気もします。
以上、今度 id:xtetsuji さんとそれについて喋るときのためにメモとして書き出してみました。