基本情報技術者試験を受けてきた(2)

  • このところはあまりに忙しく、あっという間に1週間以上経ってしまったが、去る10/15(日)に掲題の試験を受けてきた。
  • 今回は二度目の受験で、前回については以下に書いた。
  • 技術系の人ならご存じだろうが、「基本情報技術者試験」というのは午前試験と午後試験から成っていて、午前は短文の設問に四肢選択で回答する80問、午後は長文の設問を計7問解く、というもの。
  • このうち、午前の方はまあ試験内一次試験のようなもので、午後に比べたら簡単。多くは基礎的な問題で、なおかつ過去問の流用も多い。
    • ちなみに、この過去問流用については「手抜き」的なことを言われがちなのだけど、「流用は駄目だから」というだけの理由でほとんど同内容の新たな問題を再生産するよりも、優れた(流用可能と判断された)過去問を繰り返し使った方が全方位的に有用だと思えるし、受験者にとっても真面目に過去問に取り組んだ分だけ報われるというのは普通に学習意欲を刺激されるし、実際学習の効果も上がると思えるので何も問題ないだろう。
  • 一方、午後問題でそのような流用はない。そしてもちろん(というか)難度も午前よりは上がる。
  • とくにつらいのは、やはり問題文が長いことで、他人の長文を読むというのはこんなにつらいことか、と何度も思わされた。

  • さて、前回4月の試験では、午前の方は順当に(というか想像以上にあっさり)クリアできて、合格基準点の60点に対して、77.5点取れていた。
  • ぼくはその前段階と言える「ITパスポート試験」の勉強を、昨年末からほとんど思いつきで始めて、翌年(つまり今年の)1月末にパスしたものの、この「基本情報」の勉強はそれからしばらく経った3月半ばからようやく再開できたので、その後の実質1ヶ月程度の勉強期間にしては(それもまったく異なる分野で仕事をしている人間としては)、充分と言える成果のように思える。
    • ただし、後述のようにこれは選択式のマークシート問題だからこそ、とも思っているが。
  • 一方、同じ回の午後試験の方では、同じ60点という基準点に対し、なんと59.5点という、これ以上なく惜しいところで落ちてしまった。
  • じつは自己採点をしたときには、午後問題では配点が不明な箇所も少なくないため、やや厳し目に計算して「53点ぐらいだな」と結論し、早々に諦めていたのだが、実際の結果を見たときには、さすがにあまりの惜しさに「思い出し悔し」をしたものだった(造語)。
  • 配点についてもう少し言うと、午前のそれは単純明快で、100点満点を80問で割れば1問1.25点とすぐわかるし、実際そのように明示されている。
    • 加えて、基本情報技術者試験というのは問題用紙を持ち帰れるので、その問題にきちんとメモしておけば、後からでも自分がどう回答したのか確実にわかるし、それにより午前問題の自己採点というのはかなり正確に算出できる。
      • ただし、問題用紙のメモのとおりに回答用紙にマークしたかどうかまではわからないし、実際そういうマークミスは往々にして起こるのだけど。
    • さらには、試験を主催するIPAのサイトでは、問題はもとより解答も試験後すぐに公開してくれるので、非常に自己採点をしやすい環境になっている。
    • この点、以前に受験した日商簿記の試験では、問題を持ち帰ることができず、持ち帰れるものと言えばせいぜい計算に使うA4紙1枚だけで、さらには模範解答や配点なども一切公開されないため、ただひたすら結果発表を待つだけでつらいものだった。
      • まあ、その計算用紙に回答内容をメモしておけば、予備校などが公開してくれる予測解答と突き合わせることで、ある程度の結果はわかるのだけど、試験中にわざわざ計算用紙に転記する暇があれば問題を見直したい、という程度の実力だった自分にはやはり苦しいシステムだった。
  • 配点の話に戻ると、基本情報技術者試験の午前の方はそのように非常にわかりやすいのだけど、午後の方にはやや謎があって、7つの大問のうち、5つが12点満点で2つが20点満点ということまではわかっているものの、その中の枝問が1問につき何点か、というところまでは公開されていない。
  • だから、自己採点をする際にはその部分を想像で補う必要があり、前回の自己採点ではそれが実際とズレすぎて「53点」とかになっていたのだった。
    • 具体的には、それぞれの枝門に仮の配点をつけて、それを加減していたのだけど、たぶんここまでズレるということは、その「仮の配点」が信用ならないものだったのだろう。
  • しかし今回、その勝手配点の方法を少し変えて、単に各大問の正答率(問題数中のマルの数の割合)に大問の配点(12点または20点)をかける方式にしてみたところ、前回の午後問題の予想得点は「58.008点」になっていて、だいぶ精度が上がっている。
  • で、その方法で今回の予想得点を算出してみると、「63.316点」だった。
    • ……うかってるかも?
  • まあ、あまりに微妙なラインすぎて、まだまったく喜べないのだけど、とはいえ、今回の目標というのは「前回の結果を1点でも上回る」という、月並みかもしれないが「過去の自分に勝つ」ということだったから、その意味においては一応目的を達成できたのではないか、と思っている。
    • とはいえ、なにしろ前回が「あと0.5点」だったのだから、たとえ1点でも自分に勝てば、その段階でイコール「合格」になるわけだけど。
  • ちなみに、午前の方は自己採点で80点だった(80問中64問正解)。もう少し行ってるかと思ったが、そうでもなかった。

  • しかしあらためて、前回はたったひと月余りの勉強期間でそこまで行ったの、できすぎだった。
  • これはどう考えても、マークシートという選択問題ゆえの高得点であり、まぐれ当たりだったのだと思わざるを得ない。
  • 何しろ、選択肢のどれかを選べば、少なくとも正解率はゼロではなくなるのだから。
    • 午前問題に至っては、最低でも25%が保証されている。
  • 加えて、選択肢の中には、正答がわからなかったとしても「これは明らかに違うだろう〜」と思えるものが少なからず混ざっているものなので、その辺が見えれば当たる確率はさらに高まる。
  • ようは、設問に正面から回答できなかったとしても、そういう安いテクニックというか、チート力である程度の得点は重ねられてしまうところがあり、それが良くも悪くも前回は味方してくれたのだろう、ということ。
  • と同時にしかし、それに比べると、今回はそういった「まぐれ当たり」の要素は少なかったようにも感じている。
  • 午前が思ったより伸びなかったのもそうだけど、午後問題の多くも自分で「コレ」と思ったものが当たっており、「勘だけど……とりあえずコレか?」とか思ったのは普通に外れていたりする。
  • それはそれで爽快というか、もしこれで前回以上の得点になっているなら、満足感は得点以上のものになるだろう。

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  • さて、じつはここで、今回の受験に備えて使用した参考書類を紹介しようと思っていたのだけど、考えてみたらまだ正式な結果は出ていないわけで、そういう謝辞みたいなことは結果が出てからの方が良いだろうから、またそのときに。
  • その代わりというわけでもないが、前回の試験を終えてから今回の受験までにつらつらと考えた「勉強」に関するメモを少し書いておく。
  • まず、日々の仕事に並行して、過去問なり教科書の例題なりを解きながら、何度もつくづく思ったのは、結局のところ勉強というのは、スポーツや武道とまったく同じで、体を使った技術を高めていく過程なのだな、ということだった。
  • これを言い換えると、勉強というのは、目的を達成するために必要な「反射神経」を磨くことだとも言えるだろう。
  • つい先日、日本ではボクシングの試合をやっていたけど、あれもまさに似たようなもので、素人だったら認識すらできないようなすさまじいスピードの相手のパンチを、プロの人たちは避けたり、ガードしたり、場合によってはそれと入れ違いに攻撃したりしている。
  • あるいはプロ野球でも、バッターは時速150キロとかいうものすごい速球を打ち返しているし、テニスでもバトミントンでもバレーボールでも、それに熟達した人は他の人には見えない打球に反応しては、対処している。
  • 試験における設問というのは、上記のパンチとか速球とかみたいなもので、最初のうちはまったく歯が立たないものだけど、何度もぶつかっては打ちのめされているうちに、だんだん相手の軌道というか、飛んでくる球筋のようなものが見えてくる。
  • そしてやがて、初めはめった打ちにされていた相手にも勝てるときがやってきて、さらにはその割合が増えてくる。
  • この問題が来たらこっち、それが来たらあっち、という具合に問題に目が慣れて、頭が働くようになっていく。というより、頭の中で意識せずとも、自動的に処理できる部分が増えてきて、その代わりに本来時間をかけて考えるべきところに頭を使えるようになっていく。
  • これはRPGゲームで自分がどんどんレベルアップしていく楽しさにも似ていて、というか、それは人生を使った自分のレベルアップそのものであって、一度味わってしまうと、こんなに面白いことは他にない。
  • ただし、それはリアルな人生を使ったものである以上、他の楽しみを諦めなければならないとか、それ相応の代償を払うものだから、こんなに面白いものが他にないとしても、こんなにやりたくないものは他にない、という気にもなる。
    • やはり結局のところ、人は、というか少なくともぼくは、面白いものや楽しいものより、ラクなものをつい取りたくなってしまうようだから。
  • しかしそれでも、そうした代償を払いながらやってみるレベルアップ・ゲームというのはかけがえのないもので、この楽しさ、つまりスポーツや武道のように、反射神経を高めながら、それまで出来なかったことがどんどん出来るようになっていく、という楽しみを持つものとして「勉強」を捉えてみると、やはりそれは大変魅力的なものであると思えてくる。

  • こうした勉強の楽しさ、面白さというものは、「やればやるほど必ず上達する」という単純さに起因しているようにも思える。
  • そのように考えてみると、自分がこれまでに様々な試験で失敗してきた理由というものが、結局のところ、勉強法が悪かったとか、性格が向いてないとか、運が悪かったとかいうことではなく、単に「勉強量が足りなかったから」というだけのことであるように思えてくる。
  • ここで思い出すのは、もう20年以上前のことになるが、美術大学の受験に2度失敗した、二浪の頃の自分である。
  • 自分で言うのもナンだけど、ぼくは現役(高校3年)の頃から「コイツは芸大に入る」と言われて、実際校内でもトップに近い結果を出していたのだけど、いざ受験となると、1年目も2年目もすべり止めにすら受からなかった。
  • 当時の自分としては、「プレッシャーに弱いから」とか、「本番に慣れていないから」とか、「そもそも受験に向いてないから」とか、いろいろな理由を思い浮かべては悩んでいたが、問題はそんなことではなかった。
  • もし今のぼくが、当時の自分に声をかけてあげられるとしたら、

受験会場ではただ一生懸命やればいい。後悔しないように、自分が一番好きな絵を描きなさい。
でも受験当日までは、とにかくできるかぎり練習しなさい。君が試験に落ちたのは、プレッシャーに弱いからではなく、実力がないからだ。
その実力をつけるために、毎日描いて描いて描きまくって、自分が好きな、描きたい絵を、限られた時間内に描ききれるように、繰り返し練習して充分な技術を身につけなさい。

  • と言いたい。
  • おそらく、当時のぼくが本当に必要としていたのは、そういう言葉だった。
  • ぼくは簡単に評価されて、すぐにいい気になって、その後は受験に必要な練習をまったくしていなかった。もちろん毎日のように予備校に通って、自分なりには一生懸命やっているつもりだったけど、その目的は大学合格ではなく、日々の単発的な評価を得ることにあった。
  • その頃のぼくの絵には、たしかに「おっ」と思わせる何かがあったかもしれないが、そんなものは少し視野を広げれば、そこいらじゅうにあるもので、溺れるほどの才能でもなければ、努力もせず大学に合格できるだけの能力でもなかった。
  • そのときのぼくに必要だったのは、そのささやかな能力が埋もれてしまわないように、目標を大学合格に定めながら、ひたすら自分に足りないところを補ったり、あるいは際立つところを伸ばしたりし続けることだった。
  • しかし実際の自分はと言えば、ぼんやりした目標とともに、ぼんやりした絵を描き続けて、多くの絵の具と、溶き油と、貴重な時間を無駄にしてしまった。
  • そのことを今さら後悔しているわけではないけれど、ああ、あの暗く重苦しい、たしかに色にたとえるなら「灰色」としか言いようのなかったあの時期に、そのようなまともな目標を見出すことができていたら、もっと日々を楽しめたかもしれないな、とも思わずにはいられない。
  • 40才を過ぎて(というかもうすぐ43だが)、ふとこのようなことに気づけたのは、やはり幸運なことだろう。
  • かえって大変な人生にもなりそうだが、そうでない場合に比べたら、より楽しい時間を過ごせるだろう。